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 広沢さんが作る料理は、素朴ながらも、その季節ならではの自然の恵みを活かした心も身体もホッとするものばかり。その根源をうかがうと「祖母と母の影響」だと教えてくれた。「料理上手の祖母、特別凝った料理は作らないけれど、手作りのお菓子や梅干しのストックを欠かすことのなかった母のもとで育ちました。兄と姉がいましたが、いつも2人はセット。私は母にぴったりとくっついていることが多くて。台所で料理している時もいつも隣にいたんです」。

 見るだけではなく実際に料理するようになったのは、小学生に入ったころだった。「母がパートに出るようになってから、土曜日のお昼ご飯は子どもたちだけで食べるようになりました。最初は出来上がったご飯が用意されていたんですが、次はカットした材料と作り方だけ、そして、最終的には材料のみになったんです。それからというもの、私は土曜日のお昼ご飯担当になりました」。

福岡在住の作家さんの器

スタイリングもこなす広沢さんにとって器は欠かせないアイテム。「どこか無骨な表情を残した器が好みです」

 その後、料理番組や料理本にも興味を持つようになった広沢さん。転機をむかえたのは大学時代だった。「高校時代に将来の夢を見つられず、受験の波に飲まれるように短大に進学しました。在学中にたまたま、フードコーディネーターという職業のことを知り “私がやりたかったことはこれかもしれない” と、ダブルスクールでフードコーディネーターの学校に通うことにしたんです」。

 しかし実際にまわりを見渡してみると、フードコーディネーターを目指しているという生徒はごくわずか。習いごとのひとつとして通っている人がほとんどだったのだという。その光景を見て “やっぱり本格的に料理を学ばなければいけない” と思い、短大を卒業後、調理師免許がとれる専門学校への進学を決意する。「母には大反対されましたが、押し切って大阪の専門学校に進学しました。それまでは千葉県の実家に住んでいましたが、何もかもを1度リセットしようと、敢えて大阪の地を選んだんです。一種の決意表明だったのかもしれません」。学校では包丁の扱い方などの基本的なことからはじまり、素晴らしい素材を使った実習や衛生学、様々な講習など、日々新たなことを学び、充実した時間を過ごした。そして、同時に和食屋さんでのアルバイトにも精を出し、関西の出汁文化をいちから学んだ。それは今でも“自分の味”のベースになっているほど影響を受けたのだという。実家に住んでいたころ、広沢さんの世界は “関東” がすべてだったが、大阪で暮らしたことによってその土地土地の文化があり、味があり、それを知る面白さを感じ、住む場所にはこだわらなくていいことを悟った。

 卒業後は飲食店での勤務を経て、専門学校時代に講師としてもお世話になったフードスタイリストの板井典夫氏に師事。「憧れていた世界は、目まぐるしいスピードでとても刺激のある日々でした。とにかく毎日必死だったように思います。第一線で活躍している方々の現場に立ち会えたこと、その場で感じたことはとても大きな経験であり財産となっています」。

『家だから、いっぱい野菜 』

著書の1冊。レシピだけではなく、旬の食材の早見表が掲載されていたり、広沢さんらしさが詰まった内容に

 独立してからは、雑誌や書籍などを中心にレシピを考案したり器を集めてコーディネートをしたり、撮影や取材で多忙な日々を送っていた。「仕事の経験を重ねるうちにインプットよりアウトプットが多くなったように感じ、自分の足りない部分ばかりが見えてしまうことも……。30代に入ったころには、疲れたら福岡に遊びに行くというのがルーティンになっていましたね。スッと受け入れてくれる懐の広さと、『ここに行ったらいいよ』とか『この人に会ったらいいよ』と、いい意味でおせっかいな県民性が妙に居心地がよく、パワーチャージをさせてもらっていました。と同時に、親しい編集者たちと自費でZINEを制作。“自分らしい活動” を模索していたのかもしれません」。

フリーペーパーや ZINE

イベント時の配布用に制作されたフリーペーパーや、ZINEなど。どれも細部までこだわりが詰まった仕上がり

“ 生産者と消費者をつなぐ橋渡し役に ”

 そして2009年、パートナーとの出会いを機に、福岡県に移住。「移住することにまったく抵抗がなかったんです。専門学校時代に、住む場所にこだわる必要はないことを身をもって経験しましたし “なんとかなるか!” という感じでした(笑)」。

 現在は、レシピ提供などのほかに、生産者と消費者をつなぐような取り組みにも力を入れている。「福岡に引っ越してから、野菜や果物などの生産者の方とお会いする機会が増えたんです。知れば知るほどリスペクトが強くなり、それと同時に、彼らが作る食材を多くの人に届けたいと思うようになったんです。料理家という、生産者と消費者の間に立つポジションとして、イベントを企画するようになりました」。

3 種の神器

どこへ行く時でもすぐに料理が振る舞えるように持ち歩いている、ペティナイフ、まな板、菜箸。プラス、エプロン

 今後は「jikijiki」というプロジェクトを立ち上げ、食材の加工品などの販売などを予定。今後、生産者と消費者の橋渡し役としてさらに活動の幅を広げようとしている。広沢さんのまわりには、今日もおいしい料理と笑顔が溢れている。

Photography KIYOSHI NAKAMURA
Edit & Text ERIKA TERAO

こちらの情報は『CYAN ISSUE 021』に掲載されたものを再編集したものです。

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