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生まれたころから“四代目”と呼ばれていた人形師の生き方

 例年より20日も早く梅雨入りして間もなくの福岡の午後。門口で「人形」ののれんが揺れる工房にお邪魔した。出迎えてくれたのは、中村人形の四代目・中村弘峰さん。近年ではアスリートをモチーフにした人形で知られるだけでなく、博多の夏の伝統行事「博多祇園山笠」の人形の制作にも携わっている、福岡を代表する若手人形師だ。伺ってみると小さなころから人形師になるのが夢だったという。

「子供のころ、男の子なら誰しもがはたらく車の虜になりますよね。ぼく自身も例外ではなく、“バキュームカー”というかっこいい名前に憧れて、将来はバキュームカーの運転手になりたいと思っていました」。

人形師の命“ヘラ”

人形づくりにおいて命ともいえるヘラは、竹やつげ製。使う場所に応じてひとつひとつ手づくりしている

 しかし、物心ついてからというものは人形師になりたいという強い意思を持ち、それはずっと変わることがなかったのだという。

「思い返せば、洗脳みたいなものなんです(笑)。子供のころからまわりからは“四代目”と呼ばれていたので、友達もみんな、何かしらの◯代目なんだろうと思いながら過ごしていました。祖父や父のお弟子さんたちと寝食をともにするような生活でしたし、父からは一緒にお風呂に入るたびに“お前は俺を超えろ。中学、高校、そして東京芸術大学に進学して、俺に弟子入りしろ”といわれていて。何の疑問も持たなかったんですよね。大学院に進学したこと以外は、本当にその通りの人生になりました(笑)」。

ごはんの布団で眠る

料理道具店で行われた個展用に制作された作品。お弁当の中で、梅干し(犬)と沢庵(子供)が眠っている

 大学院卒業後は実家に戻り、お父様に弟子入り。といっても、最初の半年はひたすら草むしり。続いてその後半年は、梅の木の剪定。お父様いわく「すぐに粘土を触らせると調子にのるから(笑)。年頃の息子に突然そんなこといったら不貞腐れるだろうから、すぐには粘土に触れさせないってことも、お風呂の中で予告していたよ」とのこと。

 そして2年目から工房に戻り、人形づくりの修行がスタートした。

「実は強制的に粘土を与えられたことがなく、大学も木彫を選考していたので、本格的に人形をつくるのは、弟子入りしてからがスタートでした」と弘峰さん。まず行ったのは、大学・大学院時代に学んだ、いわゆる西洋から持ち込まれた“美術”を一旦忘れる作業。そして、東洋の、日本の、美意識を入れ直す作業をしたのだという。しかし弘峰さんにとって、その作業は “苦”ではなく、自分からどんな作品が生み出されるのかわからない、どこか新鮮でわくわくした感覚だったのだという。

「日本特有の美意識っていうのは、西洋の美術とはまったく違います。線から少しずれてしまうだけで、作品の仕上がりはまったく異なったものになることも」。

スポーツ選手モチーフ

「江戸期の人形師が現代にタイムスリップしたら」をコンセプトに制作している、アスリートをモチーフにした作品

 そして現在、弘峰さんの作品の象徴ともなっているのがアスリートをモチーフにした人形。インスピレーションやアイデアはどのようにして生まれたのかを伺ってみた。

「長男が誕生した2014年に、五月人形をつくろうと思ったんです。五月人形といえば桃太郎や金太郎がモチーフになることが多いイメージですが、それを現代バージョンにすると何になるのだろうと考えたんですよね。強くてたくましいものの象徴…から、アスリートが思い浮かびました。これまでも、お客さまから五月人形をオーダーされたりしていましたが、実際自分が当事者になったからこそ生まれたアイデアだと思います」。

時代によって変化する人の祈りをかたちに

 それまでは、興味が赴くままに制作していたという弘峰さんだが、弘峰さん=アスリートというひとつの形が誕生した。

「芸大に通っていたころは、一にも二にも“自己表現”なんです。だけど、人形師の世界は真逆。中村家に代々伝わる“人の祈りを形にするのが人形師”ということばの通り、時代によって変化する人々の祈りに応じた人形をつくるということが何よりも大切なんです。でも、それってすごく素敵なことだなと今なら素直に思えます。誰かの祈りに寄り添えるということもそうなんですが、“自分がない”っていうコンセプトも面白いんじゃないかなって(笑)。自己表現を超えるものがつくれるような感じがするんです」

江戸時代の人形

オークションで落札した、江戸時代の人形。欠けていた部分は自身で修復。「亀千代と名付け、人形づくりの参考にしています」

 最後に今後の展望についても伺った。

「展望というよりも、近々実現したいことでもいいですか?(笑)。工房のすぐ近くの実家を取り壊して、ギャラリーをつくりたいと思っているんです。今、地元の福岡でも4年に1度くらいのペースでしか展示を行っておらず、よく“旅行で福岡に行くんですが、どこかで作品を見られますか?”というご質問をいただくのですが、そのたびにお断りするしかなく…。自分でギャラリーをつくってしまえば、顔を見ながら作品を販売することも可能になりますからね。若手作家の作品を取り扱うのもいいなと思ったり…面白そうなことを考え中です」。

Photography  KIYOSHI NAKAMURA

Edit & Text  ERIKA TERAO

こちらの情報は『CYAN ISSUE 030』に掲載されたものを再編集したものです。

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