About Sri Lanka
年間を通して常に温暖なイメージがあるが、細かく見ると、そのユニークな地形の為に地域によって気候が異なる。暮らす人々の宗教や風習についても知っておきたい。
スリランカは、日本の南西約7,500kmのインド洋上に位置する島国。熱帯性モンスーン気候に属しているが、気温は年間を通しても2〜3度しか違わず、比較的過ごしやすい。また、南西モンスーンと北東モンスーンの影響を受けている為、乾季と雨季が存在する。
5〜9月は南西モンスーン期と呼ばれ、赤道付近からの湿り気を含んだモンスーンが、南西部の海岸沿いと高地を中心に雨をもたらす。対する11〜3月は北東モンスーン期。ベンガル湾からのモンスーンが、北東部を中心として、全域に雨を降らせる。この間の10月と4月は「インターモンスーン期」と呼ばれ、10月は無風期間、4月は年間で最も暑くなる。
小さな島国だが、前述のように、モンスーンや地形の影響によって、それぞれの地域で訪れやすい季節が異なる。1年に2度雨季がある島の南西部は「ウエットゾーン」と呼ばれ、1年に1度しか雨季がない北部、東部、南東部は「ドライゾーン」と呼ばれている。
民族的には、インド北部のアーリア系を祖先にもつシンハラ人が総人口の約70%を占め、次いで多いのがタミル人。彼らは南インドにルーツがあり、人口の約20%を占める。第3の民族は、スリランカ・ムスリムと呼ばれ、人口の約8%。シンハラ語とタミル語が公用語になっているが、連結語として英語も認められている。
シンハラ人の大多数は仏教徒であるのに対し、タミル人の多くはヒンドゥー教徒、スリランカ・ムスリムはイスラム教徒である。国民の約70%が仏教徒、約10%がヒンドゥー教、イスラム教が約8%、そしてキリスト教徒も約11%いるとされている。
そんな多民族・多宗教国家のスリランカだが、多数を占める仏教徒たちは、各月の満月の日を「ポヤデー(フルムーン・ポヤデー)」と呼び、寺院へ参拝する。また、ポヤデーは国民の休日でもあり、役所や銀行なども閉められる。
満月を祝い、経済活動や食肉などを控え、全土的に(旅行者も含め)禁酒となる。いつもは華やかな色彩のサリーを身に纏う女性たちも、水で身体を清めてから、真っ白なサリーで寺院に参拝する。特に5月は「ウェーサーカー祭」と呼ばれ、盛大に行われる。
産業は、紅茶、天然ゴム、ココナッツが3大輸出商品として知られる。中でもスリランカ産の紅茶は「セイロンティー」と呼ばれ、世界中から愛されている。さらに、宝石の産地としても有名で、アレキサンドライトやキャッツアイ、サファイヤ、ルビー、ムーンストーン、ガーネットなどが採れる。
History
建国から約2500年という長い歴史を持つスリランカ。過去にポルトガル、オランダ、イギリスによる3度にわたる侵略を経ながらも、その宗教観や伝統、風習を守り抜いてきた。
紀元前5世紀の建国以来、連綿と続いてきたスリランカの歴史。建国の時期は、ブッダが亡くなった頃とも言われている。
竹内雅夫氏の『マハーワンサ ——スリランカの大年代記——』(星雲社)によると、「釈尊は、その在世中に3度スリランカを訪れ、当時この島に住んでいた人々(先住民)を教化し、島を浄化して『仏法の島(ダンマ・ディーパ)』としての基礎づけをした」のだという。いくつかの重要な仏教界の動きがあった後、ようやくスリランカ建国の王ヴィジャヤが登場する。
インドからスリランカに渡ってきたヴィジャヤ王は、紀元前543年にアヌラーダプラの地に都市を建国。紀元前2世紀以降には、南インドからタミル人をはじめとする移住者が増え、現在のスリランカ・タミルの礎となった。
5世紀になると、現在は世界遺産となっているシーギリヤ・ロックの頂上に、王カーシャパが華麗な宮殿を築いた。そして11世紀には、南インドのチョーラ朝が侵入したことにより、王都を放棄。王国はポロンナルワに移動し、その後、王都となった。
13世紀にはマルコ・ポーロが、14世紀にはイブン・バットゥータが来島。それぞれが記した『東方見聞録』、『三大陸周遊記』には、その記録が残っている。
15世紀には明の朝貢国となり、ほぼ同時期にキャンディ王国や、コーッテ王国、ジャフナ王国等が築かれた。
16世紀に入ると、ポルトガルによって植民地化され(1505-1658年)、17世紀には、オランダによって植民地化される(1658-1796年)。さらに18世紀になると、イギリスの東インド会社によりコロンボが占拠され、植民地化が始まった(1796-1948年)。
1948年2月4日、イギリス連邦セイロン自治領として独立。1972年には、シリマヴォ・バンダラナイケが首相に就任したことにより、共和制に移行。「スリランカ共和国」として、イギリス連邦からの独立を果たした。1978年には現在の「スリランカ民主社会主義共和国」に改称された。
1985年、スリランカの国会議事堂はコロンボからスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(コーッテ)に移された。この「コーッテ」という俗称は、15世紀に築かれたコーッテ王国にちなんだもの。国会議事堂移転前は自然豊かな沼地であったが、現在は都市計画がなされ、しっかりと整備されている。国会議事堂は、スリランカが生んだ建築界の巨匠、ジェフリー・バワによる設計である。
建国より、いくつもの困難を乗り越えてきたスリランカ。現在は政府によって、民族と宗教の融和をはかりながら、バランスの取れた開発が進められている。
Photography YUYA SHIMAHARA KISUZU
Edit & Text YURIKO HORIE
Special Thanks
Sunil Wickrama
Embassy of Sri Lanka in Tokyo
Bansei Ayurveda Co., Ltd.
参考文献
『スリランカ 時空の旅』 竹内雅夫 東洋出版株式会社 2008年
『マハーワンサ ——スリランカの大年代記——』 竹内雅夫 星雲社2017年
こちらの情報は『CYAN ISSUE 016』に掲載されたものを再編集したものです。