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山梨県の伝統工芸品「甲州印伝」は、鹿皮と天然漆が主な原材料である。上質で肌に馴染む鹿革と漆で施したその美しい模様は、多くの人を魅了してきた。
甲州印伝の歴史は江戸時代末期に遡り、現在の甲府市にあたる地域を中心に産地が形成された。弥次喜多の珍道中として知られる十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』の中にも「腰に下げたる、印伝の巾着を出だし、見せる」と記されており、当時から巾着など甲州印伝の袋物が、江戸の人々の間で愛好されていたことが窺える。
印伝のその名の由来は、印度(インド)にある。南蛮貿易が盛んだった17世紀、東インド会社から輸入されたインド産の装飾革に「応帝亜(インデヤ)革」と呼ばれるものがあった。その革が現在の印伝のもとになったものなのだという。
山梨県甲府市に本社を構える「印傅屋 上原勇七」は、創業天正10(1582)年の老舗だ。江戸時代に上原勇七が鹿革に漆付けをする技術を創案したことで、甲州印伝が生まれたと言われている。技の伝承は、代々の家長でもある勇七に口伝で行われた。
江戸時代末期には数件あった印伝細工所も、時の流れとともに、ついには印傅屋のみとなった。だが、その伝統と技術・技法は今も脈々と受け継がれている。1987年、甲州印伝は経済産業大臣指定伝統的工芸品となり、さらなる発展を見せた。過去には家長のみしか伝えられなかった技法も、現在では印伝をはじめとする革工芸文化の普及のために広く公開されている。現に、印傅屋本店の2階は「印傅屋博物館」となっており、江戸以前の古典作品から昭和初期の貴重な品々などが展示されている。

四方を山々に囲まれた豊かな土地である甲州は、古くから鹿革と漆の産地であり、甲州印伝が生まれ育つ環境として、とても適していた。漆は英語で「japan」と呼ばれ、漆器の塗料としてよく知られているように、日本のものづくりには欠かせない素材である 。塗料としてだけでなく、接着剤としても用いられる漆は、優れた性能面だけでなく、美しさも持ち合わせている。また、鹿皮は、古代から加工しやすい素材として重宝され、革紐などの生活用品として使われてきた。戦国時代になると武具として利用され始め、1800年代頃には外国から皮の過酷技術が伝わり発展を見せた。その後、黒漆や燻べなど、日本鹿を使った日本独自の革染めが行われるようになった。鹿革は使い込むほどに柔らかく肌に馴染み、それでいて、丈夫なため、風合いを長く楽しむことができる。

甲州印伝の技法は、大きく3つに分類される。1つめは、最も代表的な「漆付け」と呼ばれる技法である。染色工程のあとに革を裁断し、鹿革の上に手彫りの型紙を重ね、ヘラを用いて漆を刷り込んで模様付けをする。2つめの技法は、「燻べ」である。これは、鹿革をタイコと呼ばれる筒に貼り、藁を焚いて、その煙で鹿革をいぶし、柄付けをする方法である。3つめは「更紗」と呼ばれる方法で、染色した革を裁断したのち、手彫りの型紙を1色ごとに用いて、顔料で模様付けをするというものだ。
どの方法も各工程において熟練の高度な技術が必要となる。鹿皮、天然漆という自然物を原材料とし、すべて職人の手作業によって仕上げられる「甲州印伝」。知れば知るほど、工程の複雑さ、素材と模様の意味、そして積み重ねてきた歴史がもたらす奥深さに驚くばかりだ。

CRAFTS
36 手提げ

黒漆で「花唐草」をかたどったハンドバッグ。模様部分は、漆ならではの上品な光沢があり、角度によっては印象が変化する。手紐は取り外し可能。コンパクトながら、豊富な収納が魅力。
小銭入、単名刺入

印伝の模様の意味を知るとより愛着が湧く。とんぼは中世に武士の間で「勝虫」と呼ばれ、武具や装具に多用された。三角形の頂点を組み合わせた模様の「波うろこ」は、魚の鱗をかたどったもの。鱗で身を守ることから、厄除けの意味で用いられるようになった。
合切袋大、巾着

合切袋大:健胃薬として用いられ、「尚武」「勝負」と響が同じことから、疫病を防ぎ邪気を払うとされてきた「菖蒲」模様。武具等の模様として多用された。巾着:地中海沿岸で豊穣を表す聖なる樹とされてきた「ぶどう」模様。紫の地に白漆で施された模様が高貴な印象。
Photography KENGO MOTOIE
Edit & Text YURIKO HORIE
こちらの情報は『CYAN ISSUE 018』に掲載されたものを再編集したものです。