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 ホテルオークラ東京 別館。玄関口へ一歩足を踏み入れると、数メートルにも及ぶ美しい作品が、客人を出迎える。

隅々まで行き届いたおもてなしの心

オークラの本館(現在建替え工事中)と別館をつないでいた通路の1スペース。施設を利用するゲストのことを考え、季節の花々が飾られている。花器で石畳紋を表現。

 東京オリンピックを間近に控えた 1962年5月、ホテルオークラ東京 本館が開業した。それから約60年もの間、オークラ全館に飾られる花を担当してきたのが、石草流いけばなだ。オークラの設計段階から意匠委員会として関わった岩田清道が、オークラを飾る流派として創設。現在は、三代目家元の奥平清鳳さんを頂点として創作活動を行う。そして、次期家元が奥平清祥さんである。現在は華道家としての活動に留まらず、サロン主宰、大学校で教鞭を執るなど、幅広い活動を行う。石草流に入門したのは社会人になってからとのこと。どのような経緯があったのか、話を伺った。

「学生時代はソーシャルマーケティングを学び、その後、電機メーカーに入社しました。SE として新聞社のデジタルシステム化の基礎設計や、世界標準フォーマットの提案活動などに携わってきました。その後は、広告代理店の研究所でフリーランスのプランナーとして、日本人のあらゆる暗黙知を形式知にしてシェアできる方法を研究していました。3年間務めましたが、社会生活に悩み、禅の勉強を本格的にはじめたのがその頃です。現代人のように休めない、止まれないという状況の中で、禅がもたらしてくれる心のあり方の入り口として、花というものがあるのかもしれないと気づき、ライフワークとして華道と向き合うことを決意しました。

数々のゲストを出迎える「六角」

谷口吉郎デザインのロビーフロア。壁画は棟方志功原作。顔とも言えるメインの作品は、季節や有職故実に基づいて飾られている。

 母も祖母もいけばなを嗜んでいたので、いけばな自体は小さな頃から身近なものではありました。大人が真剣に取り組んでいると、子供はついモノマネをします。母が初代家元に子供が真似をすることについて相談すると、『きちんと本物を与えなさい。子供用だと加減や使い方を覚えず怪我をするから』と言われたそうです。それで備前の小壺と大人用のハサミを一丁あてがわれ、好きなようにやってごらんと言われていました。4歳の頃、オークラで仕事をする母の後をついてまわっていたことも覚えています。大人の空間に入り込み、関わることで褒めてもらえたことが嬉しくてしょうがなかったです。それでオークラという空間にはまってしまったというか、ここで育てられたような感覚です。今まで華道をやりなさいと強要されたことは一度もなく、『花は、花のことだけやっていても生けられるようにはならない』というのが母の持論でした。」

 奥平さんが多大な影響を受けたというのが、慶應義塾大学名誉教授の井関利明さんだ。
「井関先生には本当に多くの視点をいただいているのですが、改めて今の自分に響いているのは、教育と訳された education という言葉は、『産婆術』を意味する “エ・デュカーレ” が語源であること。自分の力とタイミングで外に向かう相手に対して、ふさわしい引き出し方で支える技術が本来の education の意味なのだと。“華道はこういうもなのでこうしてください” と、型にはめて教え与えるのではなく、花に助けてもらいながらみなさんが自分の方法をつくっていく伴走者でしかないという感覚になったのは、先生のおかげです。

“花は現代人にとって有用であり、 自身の潤いやゆとりをみつける 手助けをしてくれるもの”

 日本の文化は日本人に合うように発展してきました。切った張ったからのし上がっていった武将たちは、余裕があったからではなく、仕事に直接的に結びついたから華道を続けていたんです。秀吉の時代まで職業軍人は稀で、農民を兵士として戦に駆り出していたので、軍事訓練も本番での失敗も出来ません。そこで、適材適所に人を采配する能力や、臨機応変に戦略を変える判断力を鍛えるため、つまりヒトやモノゴトをまとめるスキルを身につけるために華道が使われていました。華道は現代人にとっても、生きるものがあります。花を触って集中し、花と対話することで自分と対話し、最終的には何もなくなるというところにいきつきます。そして何より、花はもともと美しいものなので、失敗がありません。これは肯定力を育てることにもつながります。

優雅な空間を鮮やかに彩る

世界各国の賓客も宿泊するという 13F ペントハウスフロアの廊下。広々としたアールヌーヴォー調の空間の中にも、日本の美意識が反映されている。

 また、日本文化は、余白や空白こそ大事という古神道や仏教の考え方から、想像で埋めてもらう前提での表現や、欲しいなら手を離して委ねてごらんという生きるヒントが散りばめられています。離すためには、自分にとって何が充分で満足かを知ることが第一歩。手の内にある材料だけで見えないゴールを目指すという華道は、それを探るよい仕掛けなのです。文が明らかな(文明)社会で頑張っている人は、文が化けている世界(文化)で息抜きをすることで、自分のエネルギーを循環させていくことができます。どんな形でもいいので身近なところから、少し日常に取り入れてみてほしいです。

蕾から、兆しを感じ楽しむ

美しく咲き誇るレンギョウ。「蕾の状態で飾ることで、花開くまでの兆しを感じとります。長く滞在されるお客様にも楽しんでいただけます」

 岡倉天心が『茶の本』の中で、『喜びにつけ悲しみにつけ、花はわれわれの不断の友である』と記したように、花はわたしたちを勇気付けてくれ、悲しみを癒してくれる存在です。とにかく敷居が高いと思われているので、格式を下げずに敷居を下げてく活動を続けていきたいです。興味関心が薄れている中、次の世代へと気持ちを繋げていくことが、私の役目なのかもしれません」

Photography YUYA SHIMAHARA
Edit & Text YURIKO HORIE
Special Thanks Hotel Okura Tokyo

こちらの情報は『CYAN ISSUE 021』に掲載されたものを再編集したものです。

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