「とんでも発明家のようなものだと思います(笑)」。ご自身のことをそう話すのは、『ヤチコダルマ』の吉田弥稚子さん。だるまの制作に携わること約3年。手足が生えた「ぶらぶら達磨」や、升に小さなだるまが 12 個入った「1ダース達磨」など、ユニークなだるまを制作し続けている。
ヤチコダルマとしての処女作

学生時代は、デザイン系の専門学校に進学し、パソコンを使ったデザインだけでなくイラストやデッサンなど幅広いデザインを学んでいた吉田さん。卒業したのち、1度はデザイン事務所に就職するも、退職。その後は敢えてデザインの道には進まなかった。
「退職した後は、飲食店や病院、結婚式場……その時々に興味のある職業に就いていました。何かを作る仕事をしたいとはずっと思っていたんですが、それは自分の中でまた夢の夢で。ただ、趣味でネイルアートやプラモデル、折り紙、絵を描くなど、常に何かには挑戦していましたね。ただ、どれも続かなかったんです」。
だるまとは無縁の生活を送っていた吉田さん。だるまとの出会いは突然やって来た。
「森見登美彦さんの著書『夜は短し歩けよ乙女』中に、だるまの描写がぽこぽこ出てくるんです。ストーリーの肝として登場しているわけではなく、料理でいうピンクペッパーのように彩りとして添えられている、そんな感じです。特に挿絵が添えられているわけでもないんですが、手の平に収まるくらいのサイズで、赤くて丸くて……私のイメージの中で、とてもかわいいものに感じたんです」。
それまでだるまのことを考えたこともなかったというが一瞬でだるまの虜になり、古道具屋さんや製造元などを巡りながらちまちまと収集をスタートしたのだという。
収集し続けているだるま

それからほどなくして、福岡市内に店を構える郷土玩具店・山響屋のポップアップショップが開催されることを知り足を運んでみると、吉田さんの中で “かわいいだるま” の定義である “赤くて丸い” だるまがずらりと並んでいた。
「開催期間中は毎日のように足を運びました。その流れで、山響屋店主の瀬川信太郎さんと出会ったんです。瀬川さんは私のだるまに対する熱い思いを知り、『だるま、作ってみたら?』と。すぐに作り方を見ながら作ってみることにしたんです」。
“お土産、お祝い、応援に…… 当たり前にだるまを選んでほしい”
ご自身がだるま作りをすることになるなんて思ってもいなかったというが、頭の中には作りたいだるまの姿がしっかりと描けていたという。処女作は、だるまからぶらさがるように手足がつけられた「ぶらぶら達磨」。それからというものユニークな中にどこか懐かしさを感じるだるまを発表し続けている。
手作業で息を吹き込んでいく

「ぶらぶら達磨を山響屋の店頭に飾っておいたら『欲しい』という人が現れて、それから正式に販売を開始したんです。1cm ほどのだるまが升に 12 個入った『1ダース達磨』は、福岡のお土産にしてほしくて作りました。12 個入りのお菓子を買うなら、だるま買ったらいいじゃん!っていうことです(笑)だるまを普及させたいという思いが強くて生まれた作品です。だるま作家になったからには、だるまの時代が来ないと意味ないじゃんって思っていたんです」。
そして日本各地、さらには日本を飛び出して世界各国での展示など、だるまを広げる為の草の根運動のようなことを地道に続けた今「だるまの時代が来た」と、吉田さんはいう。
だるまの原型に使われる古紙

「次の目標として掲げているのは、だるま作家の頂点に登ること。私自身は、だるま作家と名乗って活動をしているんですが、心持ちとしては “製造元” なんです。自分の手から販売するとただ消えていくだけなので、お店に並んでほしいなと思っていて。手塩にかけただるまたちだからこそ、1度 “いいところ” に飾ってほしいんです。後は流通の歯車に乗ってこそ、一人前、プロだといえるかなと思っていて。ただ楽しいだけで作っているわけじゃないぞという、ちょっとした意地ですかね(笑)」。
吉田さんの手から生まれる愛嬌溢れるだるまは、今日も誰かの側でそっと心を温めている。
Photography KIYOSHI NAKAMURA
Edit & Text ERIKA TERAO
こちらの情報は『CYAN ISSUE 023』に掲載されたものを再編集したものです。