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NIVEA Creme History

クリーム史の金字塔、ニベア青缶

製品が開発されたのは109年前。誕生から10年も経たぬうちに世界各地で販売されるようになり、現在も売れ続けているニベアクリーム。●清潔感を感じさせる白いクリーム ●すぐにしっとり肌を整える高機能 ●コンビニや薬局でワンコインあれば手に入る親近感 ●白のフォントが効いたアイコニックな佇まいの青缶。これらの要素が世代、性別を越えて嗜好されると気づいたことはブランドの先見の明であり、ひとつのクリームが短期間でブレイクを果たし、世界の定番となった最大の背景といえる。誕生から日本上陸、100周年を達成するまで、ニベア青缶が顔や体など全身にマルチに使えるスキンクリームの世界代表となるまでの歩みを紹介。

1911 - ニベアクリームの誕生

ドイツはハンブルクを拠点とするバイヤスドルフ社から発売されたニベアクリーム、その処方は、1911年に薬学者で実業家のオスカー・トロプロヴィッツ博士によって生み出された。当時の研究活動に関わっていた博士のひとり、イザック・リフシュッツ博士が “オイセリット” という天然の乳化剤を開発し、トロプロヴィッツ博士はこの乳化剤がスキンクリームのベースとなることに着目。さまざまな臨床実験を行い、また安定性も確かめ、1911年12月に乾燥を防いでうるおいを守る、どんな肌にも対応できるスキンケア・クリームが発売された。

ニベアクリームの生みの親、薬学者で実業家のオスカー・トロプロヴィッツ博士(1906)

1914 - 世界各国で販売を開始

ニベア(NIVEA)の名前は、ラテン語のnix(雪)、nivis(雪の)といった単語に由来する。処方が完成し、あとは名前をつけるのみとなった時にトロプロヴィッツ博士はクリームの見た目そのものを商品名のヒントとして名づけた。そのわかりやすさや使い心地の良さで瞬く間に商品はヒット。ハンブルクは港町で貿易が盛んだったことも功を奏し、デビューから3年後には世界34ヶ国で販売されるようになり、ブエノスアイレス、コペンハーゲン、メキシコ、モスクワ、ニューヨーク、パリ、シドニーでも生産が行われるようになっていた。

バイヤスドルフ社のラボラトリーに て、さまざまなリサーチが行われている光景。(1914)

1925 - “ニベア青缶” が登場

ニベアのアイデンティティのひとつでもある青缶だが、実は1911年の発売当初の缶の色は黄色だった。フタにはアールヌーボー風の緑色のつる草模様があしらわれ、どちらかというとフェミニンな印象を醸し出していた。おなじみの青缶となったのは、発売から14年が経った1925年。フタには白抜きでNIVEAのロゴが入り、現在の印象に近いスタイルとなる。このリニューアルにより、お母さんや子供のスキンケアだけでなく、お父さんのひげ剃り後のケアなどにも役立ってきたニベア青缶が “家族の定番” としてより定着していった。

バイヤスドルフ社から各地へデリバリーに向かう、NIVEAのロゴ入りトラック。(1929)

1968 - 日本国内でも販売開始

日本での発売開始は欧米諸国に比べるとやや遅く、ドイツでの販売開始から約60年後のこと。それ以前の日本は化粧品自体が、大衆のための製品として確固たる地位を築けていなかった。高度経済成長に入り化粧品が一般家庭にも少しずつ浸透しはじめたタイミングで、買いやすい価格のニベアは “家族で全身に使えるスキンケアクリーム” として日本人の嗜好にぴたりと合い、すぐに支持されるようになった。

純白のニベアクリームをひとつずつ青缶に充填する作業が行われている生産工場。(1958)

2011 - 発売100周年を達成!

2011年、ニベアは発売から記念すべき100周年を達成した。現在では世界200ヶ国で販売され、約4億3千万の人に愛用されているという計算になる。日本のニベアクリーム(缶・チューブ含む)の年間販売数は平均約1000万個を超えている。(2019年調べ) 日本国内の販売開始から現在までの累積販売個数は約2億個。ハンブルクにあるニベアのスキンリサーチセンターは世界でも有数なスキンケア研究所として、つねに消費者のニーズを考えながら、素肌の自然な働きをサポートして活発化させる革新的な新製品の開発やテストに邁進している。

Advertising archive

各国の広告に見るブランドの工夫

発売当初はパッケージ同様に広告もアールヌーボー風。青缶が登場した1925年以降は、広告にもブルーが使われるように。オーストリアなどの寒い国では雪や雨や風から肌を守るアイテムとして広告を展開。親子や夫婦で使えるスキンケア、家事のお供に、日焼け後のケアに、その国のニーズに合わせたさまざまな用途がその国の言語でアピールされてきた。

Except for the details

色やフォルムへのこだわり

現在では、ロングライフデザインとしても称賛されているニベアクリーム。時には遊び心をまじえ、ニベアブルーとホワイトロゴは受け継がれていく。ニベアブルーと呼ばれる “青” は、「親密さ」「信頼」「調和」を表すカラーとして、印刷やWEBで用いるカラーコード、CMYK(色の三原色+黒)やRGB(光の三原色)の数値が決まっている。また、青缶になってからのブランドロゴは白いクリームを象徴する白抜きで、読みやすい活字体に。現在は一文字一文字のスペースの数値も定められている。化粧品としてはめずらしい缶パッケージは、1911年当時手に入りやすい素材で、紫外線や空気の影響によって中身が変質しにくく、持ち運びにも便利、ということから定着。限定のデザインパッケージは、発売当初はセラミックジャー入りだったが、1980年代にはプチギフトにも最適なデザイン缶が登場。1983年以降は、毎年秋に限定発売品が販売。

Package design

※ニベアクリーム 限定デザイン 大缶(169g)オープン価格(ニベア花王)

"NIVEA Ball"

1930年代に登場した、ニベアロゴデザインの、空気を入れて膨らませたニベアボール。素肌を守る研究を続けてきたニベアは、日焼けによる炎症を防ぐために1936年に世界初の日焼け止めであるニベアウルトラオイルをいち早く発売した。そして1950年代に入ると戦後の好景気で休暇を楽しむ家庭が増え、レジャーブームが到来。ビーチ文化が盛り上がり、製品とともにニベアボールの人気も世界へ拡大。ビーチボールよりも先に現れ、軽くて簡単に膨らませることができるニベアボール。1960年代〜1970年代には国際的なリゾート地に「NIVEAキャラバン」が出現し、製品を買ってビーチに向かう人にニベアボールをプレゼントして大ヒットを記録した。

1960年代、ニベアアボールは子供たちにとって、憧れのビーチアイテムだった。ニベアボールが届いた子供から、感謝の絵と手紙がハンブルクの本社へ届くこともあった。残念ながら日本国内では現在販売されていないものの、現在までの40年間で2000万個以上のニベアボールが生産され、ブランドの大使として世界中の人々の手もとに届けられている。

Secrets of moisturizing function

ニベアクリームの保湿力の秘密

1. 誕生当時からほぼ変わらない優れた処方

優秀な科学者の力を結集して生まれたニベアクリーム。1911年に誕生した時から、その処方は若干の原材料の変更や一部改良などは行われたものの、化粧品としての働きの核となる部分はこの109年間変わっていない。市場に出ている一般的なスキンケアクリームの多くは、水分と油分が均一に混ざった状態を安定にキープするため界面活性剤が用いられている。しかし、ニベアクリームは、天然の保湿成分が乳化剤として機能するため、水分と油分が均一に混ざり合った状態を保つことができる。天然の保湿成分として配合されているのはホホバオイル(日本処方においての配合)で、お肌に安心して使えるやさしいうるおいベールをつくるキー成分でもある。

2. 肌のうるおいを逃さずバリア機能を守る

ニベアクリームの使命は、素肌の働きを守って健やかに導くこと。そのため、あえて固めのテクスチャーに仕上げられている。クリームに使用される油分には固体と液体があり、肌になじむ軽いテクスチャーを重視する場合は液体の油分が使われることが多いが、固体の油分(ワックス成分)を使うと肌の上で厚めの膜を作ってくれる。例えば秋冬の寒い時期、皮脂の分泌が減り皮脂膜が上手く作れなくなった肌にニベアクリームを使うと、木枯らしが吹いた時のチクチク感や洗顔後のつっぱり感などが和らぐ。これは、肌の上に濃密なうるおいベールつくるニベアクリームが、皮脂膜の代わりとなって肌の水分の蒸発を防ぎバリア機能を助けてくれているからである。

3. 1つで水分と油分をバランスよく補える

洗顔後すぐに使えて、1品で素肌をしっとりと整えてくれるオールインワンクリーム。ニベアクリームはその先駆けともいえる。クリームは通常、油分で肌にフタをしてうるおいを閉じ込めることが主たる役割とされている。しかし、ニベアクリームの成分表示を見ると最初に出てくる成分は “水” で、水分と油分をバランスよく含んだ処方になっている。また、一般的なフェイスクリームは水分ベースの中に油分が分散しているが、ニベアクリームはその逆で、オイルベースの中に水分が分散している。このことから、洗顔後にニベアクリームをつけるだけ、という時短ケアでも水分を与えながら油分によってうるおいの蒸発をしっかり防ぐことができるのだ。

Tips of NIVEA Creme

知るほどに使うのが楽しくなるニベアクリーム豆知識

さまざまな形で、さまざまな人の役に立ち、さまざまな場所で活躍するスキンケアブランド。ニベアクリームにまつわる興味深い6つのエピソード。

Trivia 1 愛好家イチオシのニベアクリームの使い方とは?

ボディケアだけでなく大人の女性のフェイスケアにも使われているニベアクリーム。肌の水分量をアップする働きで「高級クリームにも匹敵するうるおい」や「目もとや口もとが化粧くずれしなくなった」などの口コミが増え続け、また手頃なプライスゆえたっぷり使えるという点でもリピーターが後を絶たない。ニベア愛好家の間では、多めに肌にのせて蒸しタオルを併用するという使い方もあり「肌がすぐに柔らかくもちもちっとする」との声も。

Trivia 2 老若男女をトリコにした理由のひとつは香り?

その処方、青缶とともに、独特な香りも発売当初から変わっていないアイデンティティ。賦香率(香料が配合されている割合)に若干の変化があるものの、すずらんの花をイメージしたというやさしい香りは、ニベアクリームを使い続けてきた家庭にとってはもはや伝統の一部。嗅覚は脳の記憶を司る海馬に作用する感覚。この香りに包まれるとお母さんにやさしく守られていた幼い頃の思い出が喚起され「ほっとする」という声は非常に多い。

Trivia 3 優れた品質が認められ、宇宙旅行もすでに経験済み

1983年、スペースシャトルに搭乗する宇宙飛行士たちが使用するクリームとしてNASAによりニベアクリームが選ばれた。大気に包まれた地球から宇宙へ飛び出すことは、人体にとっては過酷な環境変化。無重力のスペースシャトル内での生活は、相当な肌への負担が予想される。最近の研究では、宇宙にいると表皮が約20%薄くなってしまうことをドイツの科学者が発見。素肌を守る働きを持ったニベアクリームが宇宙に同行したのも納得だ。

Trivia 4 ニベアファン必見のスポット、ドイツのNIVEA HAUS

現在、ドイルのハンブルクとベルリンにあるニベアハウスは、NIVEAの世界観を堪能できるスパ&ショップ。1号店のハンブルク店オープンは2006年。ニベアの全製品(日本未発売のスキンケア製品も)を購入でき、長年のスキンケア研究を活かしたニベア製品でのスパも人気。美容トリートメント、全身スパトリートメント、シェービングのメニューなどを体験でき、日頃から忙しく過ごす男性や女性がリラックスの空間として利用している。

Trivia 5 マリリン・モンローはじめ世界の美女達も愛用者に

ニベアクリームの愛用者には美容のプロフェッショナルや有名人が多く名を連ねているが、かのハリウッド女優、マリリン・モンローもその1人だった。1950年代のマリリン・モンローのポートレイトを見ると、傍らに置かれたボトルにNIVEAの文字が。また1927年、ニベアクリームの原型が日本に初めて入ってきた時は、お化粧と肌磨きにこだわりを持つ舞妓さんがいちはやく肌のお手入れに取り入れていたという記録写真も残っている。

Trivia 6 ブランドの広告モデルを一般公募した先駆け的存在

青缶が登場する前年、ハンブルクの町を歩いていた広告責任者は、とある写真館で清潔感があり健康的な3人兄弟の写真を見つけた。新しいNIVEAの精神をそのまま体現していると感じた彼は、兄弟の両親から写真を使用する権利を取得。1924年、3人兄弟はNIVEAボーイズとして広告の顔に。幅広い人気を得た兄弟はどこへ行っても、「やあ、NIVEAくんたち!」と呼ばれ、翌年には新聞を通じてドイツ国内でNIVEAガールズを公募した。

100周年達成時に編纂されたアニバーサリーブック

ドイツでは販売もされている100周年記念ブック『100 years skincare for life』。ブランドの歩み、キャンペーンの様子、世界で活躍するセレブリティが製品を愛用していたことも見てとれる貴重な資料も掲載されている。

Edit SATORU SUZUKI
Edit & Text KUMIKO ISHIZUKA

こちらの情報は『CYAN ISSUE 026』に掲載されたものを再編集したものです。

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