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 住宅街の一室にお邪魔した。カーテンや照明など、そのひとつひとつがパリの面影をまとう。そして、ふと奥の部屋に目をやると、色とりどりの糸やビーズが所狭しと並んだおもちゃ箱のような空間が広がっていた。

アンティークパーツの山

パリに行くたびに購入しているというアンティークパーツたち。パーツを見て、作品のアイデアが浮かぶこともあるのだそう。

 パリと福岡を拠点にボヴェ刺繍作家として活動している小笠原里香さん。原点をたどると小学生のころまで遡るのだという。「手芸が得意だった友人のお母さまから影響を受けました。スタートは、当時流行っていた大高輝美さんのフェルトマスコット。レシピ本を何冊も購入しては休みの日にひたすらつくっていたように思います。夢中で制作するあまり、夕方には声がかすれて出なくなるほどでした(笑)」。中学生になったころにはミシンでオリジナルのバッグを制作するまでに腕を上げた。高校生になると、お店もほとんどない地元から市内に出る機会が増え、洋服や雑貨のお店を巡るのが楽しみに。しかし、大学生になると次第に手芸から遠ざかっていった。そして迎えた就職活動。どうせなら自分の好きなファッション関係の仕事をしたいと思い、アパレル会社に就職。「社会人になって数年経ったころ “このままでいいのかな” とふと思い、当時、長年パリで仕事をしていた知人に “東京に出た方がいいのかな” と相談したところ、“東京に出るくらいだったらパリに短期間だけでも行った方がいい” とアドバイスを受けました。そのころからまた、ビーズアクセサリーをつくって販売をするようになりました」。

小笠原さんの原点

お小遣いをはたいて購入していた大高輝美さんの本。「当時から、動物モチーフをよくつくっていました」と小笠原さん。

 実際にパリに渡ってからは、帽子デザイナーの平山佳代子氏のもとで学んだ。帽子づくりももちろん魅力的だったが「自分には、パターンや土台をつくる作業よりも、装飾をする作業が向いている」と悟り、パリから帰国した後は再び作品を制作する日々が続いた。

日が差し込むアトリエにて

クロッシェ針を使い、絹糸や綿糸で細かいステッチをほどこしていく。アトリエに並ぶ糸の種類は優に1,000を超える。

 そして再びパリに渡った時のこと。小笠原さんはオートクチュール刺繍の名門校として知られるエコール・ルサージュに入学し、7つの課程を修了した。中でも関心を持ったのは、18世紀のフランス宮廷のポンパドゥール夫人が自ら嗜み、愛したことで知られる伝統的で緻密なボヴェ刺繍。

“本当にいいもの” がわかる人になりたい

 そこから来る日も来る日もボヴェ刺繍に打ち込んだ。しかし、実際に販売してみたところ、期待していたほどの反応が得られなかったのだという。「伝統的なボヴェ刺繍は、糸だけを使った刺繍なんです。だからビーズやスパンコールなどを使ったリュネビル刺繍などいくつかの刺繍技法を融合して作品を制作するようになりました」。素材は主にパリで購入したアンティークにこだわっている。マットな色使いや繊細なサイズ感、少しいびつなものが愛おしいのだそう。「作品のモチーフも、少しいびつなものを選ぶことが多くて。そういう不完全な部分に惹かれるんです。アンティークパーツはとても貴重なもの。だからこそ、それに見合う作品をつくらなければいけません。責任重大ですね(笑)」と小笠原さんは微笑む。

まるで絵画のような作品

心温まるモチーフと繊細な刺繍から生まれる作品。ボヴェ刺繍作家として14年目を迎えた昨年には、2冊目の作品集を発行。

 最後に、今後の夢についても伺った。「今まで1人でつくってきたんですが、これからはコラボレーションをたくさんしたいと思っています。数年前から、パリの芸術修復家たちが手がけるドミノペーパーブランド『アントワネット・ポワソン』と作品を制作しているんですが “これまで私たちは、モチーフを有名メーカーなどに提供するようなコラボレーションはやっていたけど、個人で活動している刺繍作家と制作するのは初の試み。だけど、相手の名前がわかる距離で一緒に制作すること、これこそが真のコラボレーションだと思うんだ” といっていただけたんです。そのことばにすごく感銘を受けて。だから私も、リスペクトする方と血の通ったコラボレーションをたくさんしていければと思っています」。

Photography KIYOSHI NAKAMURA
Edit & Text ERIKA TERAO

こちらの情報は『CYAN ISSUE 028』に掲載されたものを再編集したものです。

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