アーティスト・和泉侃さんと “香り” の関係性がはっきりと輪郭を持ったのは、大学生のとき。匂いでいろいろな記憶が蘇った瞬間があり、そのときに自分が幼い頃から香りに興味を持っていたことに気づいたという。「草花のいい匂いから、ヘソや耳のピアスホールの匂いまで、とりあえず嗅いで、自分の引き出しに入れないと気持ち悪かったのを覚えています」
自身の中にあった香りや匂いへの好奇心が明確になったとき、和泉さんの中で “香り” は特別なものとなった。
「長年スポーツの世界で生きてきたのですが、そこでは1番以外は評価されなくて、その過程や背景は無価値であることが虚しいなと思っていたんです。でも香りは、経験やどう香りに向き合ったかによって感じ方が変わり、それも科学的な根拠を持って正解だと言えるものだった。だから、香りが自分の個性や感じていることを肯定し、背中を押してくれるような気がしたんです。自由で面白い世界だと感じて、深みにはまっていきました」
これまでに携わってきたプロダクト

18歳で香りの勉強を独学で始め、19歳で空間の香りをデザインする外資系企業に所属。しかし当時の日本ではまだ、“香り” の制作に対して正当なデザイン費が支払われることが少なかった。フレグランスや香りのプロダクトが生活に浸透している海外に比べて、香りに対してクリエイティブという思想を持つ人が多くはなかったのだ。
「例えばお香は、もともと自然の原料だけでできていて、日本では服に焚きつけて間接的に香りをまとっていたので、香水とは考え方も違うんです。海外から濃度が強い香りの日用品が入ってくると、日本人の繊細な鼻に合わず、極端な “香り” は倦厭されることがあると感じます。日本に香りの文化がないわけではないけれど、香りが受け入れられるトレンドの浮き沈みがあり、持続的に価値を感じてもらうのが難しいんでしょうね。だから香りの新しいカルチャーをつくりたいし、そのリテラシーを上げていきたいというのも、作家として活動する意味のひとつです」
『誉田屋源兵衛』と制作したお香

日本の風土や歴史を尊重し、香りのクリエイションを突き詰めてきた和泉さん。それまで生まれ育った東京を拠点としていたが、老舗『誉田屋源兵衛』とのプロジェクトが転機となり、活動の舞台は徐々に場所を変える。まったく知識がなかったお香を制作することになり、お香の産地としての歴史が色濃い淡路島に通うこと約2年。これをきっかけに、淡路市のプロジェクトも重なって、2017年、暮らしと制作の拠点を淡路島へと移すことになった。
“淡路島で、後世に残っていく活動を”
「島には、外部のサポートがなくても生きていけるだけのライフラインがあって、土地の資源や環境の中で持続可能な経済が成り立つ傾向があると思っています。だからその土地それぞれに特色が出ることもあって、以前から島に興味があったんです。制作現場や暮らしを変えたいと考えていたときに、ちょうど淡路島が条件にはまり、その香り、伝統的なカルチャー、サステナビリティといった渦の中に身を投じました」
淡路島で採取した植物の精油

淡路島は農産物のクオリティも高く、和泉さん自身もその食の豊かさに魅了されるひとり。良質な土に恵まれ、海が近くミネラルもふんだん、日照率も高い、特殊な力を持った土地が、食物の味だけでなく香りも個性あるものにしていると和泉さんは語る。まさに香りと向き合うには絶好の地でもあるその場所で、いま思うこととは。
「もともとその地にカルチャーがあるということは、そこから吸収するだけではなく、そこに還元もできるということ。香りの文化や歴史がある淡路島には、そもそも香りという “器” があって、僕が活動することによって島の “器” の中に経験値が溜まっていくと思っています。だからもしも僕がこの活動をできなくなったとしても、そのあとに渡す先がある。香りという器を持つ淡路島が、僕の活動に価値を生んでくれています。
調香で活躍する仕事道具

僕はいま、現地の農家と協業して原料となる植物の種を自分たちで蒔くところから始め、収穫して、蒸留して、香りを作って、プロダクトアウトまでを一貫して行う取り組みをしています。これを “どこまでのステージでやれるか” の追求は、もう一生かかるもの。残していけるものをやりたい気持ちがいちばんで、畑も知識も残るし、続いていく。だからこそ、そこに時間もエネルギーもかけたいなと考えています。そうして嗅覚や匂いの話が教科書に載る時代がきて教養としても広まったら、意識も変わってくるだろうから、この時間がかかる活動をコツコツやっていきたいです」
閉ざされた感覚が嗅覚から蘇生されていくように、沈黙していた日本らしい香りの世界も、淡路島から再び目覚めていく。
Photography KOTOKA IZUMI
Edit & Text TOKO TOGASHI
こちらの情報は『CYAN ISSUE 028』に掲載されたものを再編集したものです。