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今、再び注目を集めている波佐見焼。白磁の美しさと呉須の染付が特徴である。1936年創業の窯元・永峰製磁は、伝統的な白磁をベースに、新たな波佐見焼の形を探求し続けている。
波佐見焼、400年の歴史
波佐見焼の起源は16世紀末まで遡る。豊臣秀吉の朝鮮出兵に大村藩主が参加し、帰国する際に招いた李朝陶工・李祐慶らによって1599(慶長4)年に始められたとされている。波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田に連房式階段状登窯が築かれ、その後も大村藩の手厚い保護を受けた。開窯後しばらくは施釉陶器をつくっていたが、波佐見町の東南部にある三股で磁器の原料が見つかり、しだいに陶器から磁器生産へと移行していった。
1666(寛文6)年には、全長155m、29室の窯室を誇る巨大な窯・永尾本登窯が築かれた。のちに波佐見焼を代表するものとなる「くらわんか碗」やヨーロッパに数多く輸出された「コンプラ瓶」などが量産され、江戸末期には生産量日本一となるなど、著しい発展を見せた。

「くらわんか碗」と「コンプラ瓶」
波佐見焼を語る上で欠かせないのが「くらわんか碗」である。染付文様が描かれた碗のことで、江戸時代、摂津の淀川沿いの船に「餅くらわんか、酒くらわんか」と売った商人の言葉に由来するという。江戸時代の庶民にとって磁器は高級品だったが、くらわんか碗は安価で売られたため、瞬く間に庶民の間に広がり、食文化にも影響を与えていった。
くらわんか碗と並んで波佐見焼を象徴するのが「コンプラ瓶」である。どっしりとしたフォルムの染付白磁にオランダ語で「JAPANSCHZOYA(日本の醤油)」「JAPANSCHZAKY(日本の酒)」と書かれた。オランダやポルトガルと取引をしていた「金富良商社」によって輸出されたため、その名がついたといわれている。コンプラ瓶は、諸外国で広く使われ、波佐見と海外を結ぶものとなった。

変わらない丁寧なものづくり
波佐見焼の窯元である永峰製磁は、手作りろくろの名手であった長崎三市が1936(昭和11)年、長崎県東彼杵郡波佐見町に創業。現在は4代目の長崎隆紘氏が代表となり、創業当時より掲げてきたものづくりに対する理念と伝統を守りながらも、モダンで現代の食卓に馴染む製品を提案している。

永峰製磁の製品の原料には、厳選された天草陶石が用いられる。天草陶石は適度な粘り気があるため焼き縮みが少なく、高温で焼き上げると、上品な白い肌に仕上がる。天草陶石の質は、波佐見焼の白磁の美しさそのものに繋がっている。

波佐見焼の製造工程は、はじめに、陶石を細かく砕いて粉末にしたのち粘土状にする。そして、手びねりのほか、手ろくろ、機械ろくろ、ローラーマシン、鋳込みなど、さまざまな技法によって成形される。
その後、素地を整え、日当たりのいい場所で乾燥させる。十分に乾燥したら、下絵付けや釉かけをしやすくするため、窯に入れ約900度で素焼きを行う。絵柄を入れる場合は下絵付けを行い、表面を滑らかにするために釉かけが行われる。

そして、高温(約1300度)の窯で本焼成を行う。釉薬が溶け、表面に薄いガラス質の膜が張ることで陶器となる。柄を入れる場合は上絵付けを行い、さらに約700~800度で焼き上げ、上絵具を定着させる。最後に、ひとつひとつの製品を手作業で検査して完成となる。

約400年前に誕生し、江戸時代に庶民から愛された波佐見焼。今も進化を続けながら「用の器」として、人々の暮らしに寄り添い、彩りを与え続ける。
CRAFTS
01. 和モダン 箸置き(七宝、矢羽)

02. 角小皿、角プレートM(アイボリー、グレージュ、モカブラウン)

03. YABANE 18cmリムボウル、YABANE 15㎝リムプレート(アイボリー、グレージュ、モカブラウン)

04. マグカップ(グレージュ、モカブラウン)

画像提供:永峰製磁
参考:波佐見陶磁器工業協同組合
Photography YUYA SHIMAHARA
Edit & Text YURIKO HORIE
こちらの情報は『CYAN ISSUE 027』に掲載されたものを再編集したものです。