グローバルラインへの強烈な憧れと運命的な出会い
原宿で美容院を営む両親の元に生まれた武田さん。小さな頃から美容やファッション関係のコミュニティが身近にあったのだそう。
「その頃にしては珍しく、母はフリーのヘアメイクも兼業していたので、おしゃれで自由な雰囲気を纏った大人たちに囲まれて育ちました。両親のお店には最新の海外モード誌がたくさん置いてあったので、高校生のときはそれを目当てによく立ち寄っていましたね。当時はケイト・モスをはじめとしたスーパーモデルの全盛期。夢中になってページをめくっていました。特に影響を受けたのが、コレクションのバックステージ特集です。今でも覚えているのが、インウイのアーティスティックディレクターを務めていたディック・ページ(以下、ディック)とナーズの創設者フランソア・ナーズの2人が登場している企画。初めて垣間見た華やかなコレクションの裏側にドキドキして。その頃から“ヘアメイクアップアーティストになりたい” と思うようになりました。そこで、夢への第一歩として海外展開にも力を入れている資生堂の美容学校に進学しました」
メイクアップアーティストの写真集

卒業後は資生堂に入社し、6年ほどサロンワークをこなした。その後、ヘアメイクアップアーティストのグループ配属となる。
「国内のビューティ・ブランドのビジュアルを担当し、充実した日々を送っていました。しかし、やはり心のどこかでグローバルライン、そしてディックに惹かれていて……。グローバルラインは90年代、ディックを始めケヴィン・ヘークインやステファン・マレーなどの世界トップクラスのアーティストと契約し、彼らのインスピレーションを商品に落とし込んでいたんです。とてもアーティステッィクで前衛的。私にとっては、まさに夢の世界でした」
グローバルラインの担当を希望し続けてはいたものの、簡単にチャンスは巡ってこなかった。しかしそんなある日、奇跡的にポジションが空き、ついに担当者に。さらには、憧れのディックと共に仕事できる機会を得たのだ。「ディックはとても繊細な人で、コミュニケーションが簡単ではないアーティストタイプ。担当者がついても、長く続かないことが多かった。そこで、入社当時からディックへの愛を語り続けていた私に白羽の矢が立ったようです(笑)」。
仕事の必需品

師匠ディック・ページとの心の交流
ディックとの初めての仕事は、NYコレクションのバックステージ。しかし慣れない英語に苦戦し、大きなミスをしてしまう。それを知ったディックから冷たくあしらわれ、目の前が真っ暗になったという武田さん。しかし、長年夢見て来た憧れの舞台。黙って終わらせるわけにはいかなかった。
「すぐに気持ちを立て直し、最後まで全力で取り組みました。どうせ今日すべてが終わってしまうなら、力を出し切ろうと。すると、その姿をディックはちゃんと見ていてくれた。最終的には、正当に評価してくれたんです。素っ気ないように見えて、実はとてもやさしく、愛情深い人なんです。その後は彼のチームにシーズンごとに参加したり、彼が出席する日本の会議に同席したり。一緒にいる時間が長くなるにつれ、発言の行間を読みながら意図を汲み取ることもできるようになりました」
日本文化への造詣を深める書籍

ディックとの関係性を少しずつ深めていった武田さんは、彼との距離をさらに縮めるため渡米することを決意。
「渡米して半年ほどは音沙汰なしだったのですが、急に連絡が入ったんです。その現場が、モード誌のカバー撮影でした。まさに、私が長年夢に見ていた現場です。それからは、彼のファーストアシスタントとして、たくさんの現場を共にしました。ディックから学んだことは数え切れませんが、1番は肌作りですね。ディックの作る肌は、“ノーメイクアップ・メイクアップ”と例えられることもあるほど、まるで素肌のように自然で美しいのです。モデルの持つ素の魅力を損なわない、フェイクに見えない肌作りを徹底していました。その感覚は、今でも身体に染みついています」
武田さんは現在、拠点を日本に移し、トップアーティストとして活躍中だ。
「今後はメイクアップを通じて、社会的な課題にも取り込んでいきたいと思っています。ビューティとは全く異なる要素を持っている組織と組むことで、自分たちの想像を超えるような意識改革を起こしてみたい。単純に“きれい”を作るだけのメイクアップだけでなく、世界が次のステップに前進するようなコンセプトを、社会に打ち出していきたいですね」
ファンデーションカラーの配合

Photography : MIE NISHIGORI
Edit&Text : SHIHO TOKIAWA
こちらの情報は『CYAN ISSUE 031』に掲載されたものを再編集したものです。