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 ヘアスタイリスト・RITSUさんの醸し出す穏やかな雰囲気は、周囲を優しく包み込む現場のお父さん的存在である。彼がヘアスタイリストの道を目指し、現在に至るまでを掘り下げてみると人との繋がりを深く感じる出会いの糸が数多く見えてきた。
「ファッションやお洒落に興味を持ち始めたのは高校生の時でした。ちょうど色気づきたい年頃で、その時は床屋じゃなく美容室に行ってみたかったんです(笑)。実家から徒歩10分ほどの場所にあるサロンに行ったことが全てのはじまりですね」。
 そのサロンこそが、後にRITSUさんが働くことになる奈良のサロン『オブジェ』である。
「初めてサロン(オブジェ)に行った時、みんなの働いている姿がかっこよすぎて、衝撃を受けたんです。それがきっかけで美容師になりたいと思いました」。
 そんな想いを抱きながら18歳で高校を卒業し、通信で大阪の美容学校に通うことを決め、同時にサロン『オブジェ』に就職する。
「就職してからの3年間は、ひたすらパーマやカラーの練習でした。23歳までアシスタント業務をし、その後デビューしてからの3、4年間も技術面を磨かなければと、一心不乱で働いていて気づけば勤続9年になっていました。デビューは人より遅かったと思いますが、その間にモチベーションが下がることは全くありませんでした。“自分の選んだ道だからデビューが遅くなってもかまわない”と楽観的に思えていたし、たぶん働くのが好きな人間なので目の前のことを夢中でこなしていたんだと思います」。

ワークスタイル

「トレードマークの帽子と、ロンドンで出会った奥さんと住んでいた時のアパートの鍵。お守りみたいなものです」。

 そんな勤勉な彼がロンドンへ向かい、ヘアスタイリストの道を目指すことになるのだが、その転機はいったいどこにあったのか尋ねてみた。
「ファッション誌を見てヘアスタイリストという仕事に興味を持ち始めた頃から、もしやるなら東京ではなく、海外でやりたいと思っていました。なかでも、ヴィダル・サスーン生誕の地であるロンドンに行けば“何か得られるかも”と、ぼんやり頭の中で考えていました。その時は美容院が一気に増えた時代で、どのお店も競争し合ってる感があったんです。自分のお店でも売り上げを気にするようになって、私もだんだんと数字のためにやっているような感覚になってしまいました。それが当初自分の憧れていた美容師像とは違うような気がしてしまい、だからといってこの職業に嫌気がさすことはなく、お店を変えるのも違うなと考えていました。そんな悩みを当時の店長に相談したことがきっかけです。忘れもしないクリスマスイヴの日(苦笑)。自分が思っている不安な感情を打ち明けると、店長は私がいますぐお店を辞めたがっていると解釈したようで、『じゃあ、お前今月で辞めろ!』と……。店長には可愛がってもらっていたので、私の意見が余計に反感を買ったんだと思います。その時の勢いもあって、本当にその月で退職しロンドンに行く決意を固めました。それからは派遣で美容師をやりつつ、1年間は渡英の準備をしました。ちなみに店長とは今でも仲良くしていますよ(笑)。僕も大好きな方なので、たまに会って仕事の報告をしたりしています」。

“ベースを築いた今でも 欲が尽きることはありません”

 1年の準備期間を経てロンドンに渡り、語学学校に通っていたというRITSUさん。この地でのさらなる出会いが今後の彼の人生を後押しするのである。
「最初は英語が全く話せなかった事がとにかくストレスでした。1ヶ月ホームステイをした後は、『MixB』という日本人向け掲示板サイトで知り合った4人とシェアハウスを。そのうちの一人が偶然にもヘアスタイリストで、10歳年上のその彼の撮影現場に同行させてもらった時、メイクを担当していた日本人の方に、今の師匠(TAKESHIさん)を紹介していただきました」。

self service magazine

語学留学中にロンドンで初めて購入した雑誌。ほどよく抜けたリアルなファッション感が好きで大切に保管しているという。

師事後3ヶ月で日本に帰国することになったRITSUさんは、もっとロンドンで学びたいと2ヶ月後にワーホリで再びロンドンに戻り2年間師匠のもとで修行した。

「師匠はUK雑誌の仕事が多く、私は現場のアシスタントをして技術を教えていただきましたが、最初はブロウに一番苦戦しました。海外のモデルは日本人と髪質が違うので、毛が絡まって全然思い通りになりません。でも練習していくうちに慣れてきて、今では日本人の髪よりもやり易く感じます。そのなかで、帰国前の1年間は自分にも仕事がいただけるようになっていました。日本に戻ってからは、たまに東京のファッションウィークに出ていましたが、自分のポートフォリオをもっと強みのあるものにしたいと思い、語学の勉強も兼ねて3回目の渡英をし、1年弱の間ロンドンでほぼ毎日作品撮りをしていました」。

愛用品

「メイソンピアソンのブラシとバンブルアンドバンブルのヘアスプレーは師匠が使っていて、その延長でずっと愛用しています」。

 帰国後、ファッションのカタログや雑誌など、ヘアスタイリスト“RITSU”として、今のベースを築き上げてきた彼がこれから目指すものとは?
「欲は尽きることはありません。強いて具体的で現実的なことを言うならば、“世の中に名前を出したい”。ロンドンでは自分のやりたいことをやって、自分のエゴを受け入れさせるような主張がかっこいいといわれ、そうしなければ次の現場に呼んでもらえないような世界でした。それも刺激的でしたが、今は日本で戦っていて、日本人としてここで骨を埋めようと思っているので、CYANも含め日本発信の媒体にどんどん挑戦したい。日本でもロンドンと変わらず影響力を与え、広げられる場はたくさんあると思っています」。

撮影風景

撮影時のオフショット。晴天のもとモデル・琉花との撮影は終始、和やかなムードで行われた。

Photography YUYA SHIMAHARA
Edit & Text ARISA SATO

こちらの情報は『CYAN EXTRA ISSUE』に掲載されたものを再編集したものです。

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