next prev cart fb in line link open tw yt

今日は撮影お疲れさまでした。CYANでは游ちゃんは初表紙&初インタビュー、ということでここから少し昔の話を聞いていきたいのだけど。

はい、お願いします(笑)。

生まれたのは神奈川県だったよね?

そうです、神奈川の戸塚生まれです。父、母、7個上の兄、4人家族。

何やら小学生の頃にモーニング娘。のオーディションを受けたとか?小さい頃から芸能に憧れていたの?

受けました。小4のときに(笑)。幼稚園児の頃、アイドル歌手になりたいって話していたらしいんですよ。歌うことが当時はとても好きで。同世代の方なら分かると思うのですが、当時モーニング娘。がモノすごい人気だったじゃないですか? TV番組でオーディションをやっていたりして。それで友達と一緒に受けてみたんです。

結果は?

書類で落選!うろ覚えなのですが、書類は郵送じゃなくて、会場に直接持ち込む形式で。同じような女の子がたくさん会場に来ていたんです。その場で不合格を言い渡されて落ちちゃったけど、行けて楽しかったです。

モデルには憧れを抱いていたのかな?

家でもずっとマイクを握っていたような私なのですが、どうも小さい頃は写真を撮られるのが苦手で。父が写真を撮るのがすごく好きだったのですが、家の中でも撮られるのを嫌がっていたくらい。兄がモデルをやっていたので所属事務所の方からも「モデルやれば?」って声をかけてもらってはいたのですが、断っていて。ただ、兄が仕事をしている姿は見ていましたし、出演しているショーとかも見に行っていたので「モデルって楽しいんだろうなぁ」という気持ちはなんとなく持っていて。それで中学生の頃だったかな、地元の美容室のサロンモデルみたいなことを頼まれて唯一やっていて。でも、本当に当時は興味がある、程度の気持ちでした。

サロンモデルをやっていて学校では人気者?

全然です。中学生の頃はホントにいい思い出がなくて。昔から人見知りはしないタイプのせいか、小学生の頃はみんなと仲良くなれて。でも中学時代は、あんまり良い思い出がないというか。もともと集団行動が苦手だったから、絶対その時間に何かを一緒にしなければいけない、とか面倒くさかったんですよね。今も中学生時代に戻りたいかって聞かれたら、全然戻りたくない(笑)。

高校は?

父親がお祭りとかが好きで、小さい頃によく連れていってもらっていたんです。その影響もあってか、文化祭や体育祭などが盛んで有名な高校に憧れていて。塾に通いながら一生懸命勉強して、第一志望のその高校に進学しました。相変わらず団体行動は苦手でしたが。

勉強は得意だった?好きな科目とか。

うーん、得意という程じゃないですけど、要領はよかったような気がしますね。国語と英語は好きで、体育はずっと5でした(笑)。反対に数学は存在そのものが理解できなかったです。というか今でも意味わからない。答えがひとつしかないし、方程式が何の役に立つのか自分にはサッパリ(笑)。こんな性格なもので、数学が本当に嫌いすぎて、一時期ヤル気がまったくなくてテストで2点とったこともあります……。最初の1問以外、方程式を覚えていなくて全部間違えるという。

覚える気がそもそもなかったんだね。

ない!ですし、高校に入ったら勉強しなくて良いって、塾の先生に言われていたから勉強しなくて良いって本当に思っていて(笑)。さすがに2点はマズいと思ったので、期末テスト前とかは何とか詰め込んで挽回しました。そんなこともあって、理系の人への憧れが強いです!

そんな天真爛漫な高校生活。雑誌にもその頃からよく出はじめるようになりましたよね?

はい。bloc(ブロック)というヘアサロンの方に声をかけられたのがきっかけで、サロンモデルとしてヘアページに掲載していただきました。『an・an』や『PS』や『mini』、『Soup.』『SEDA』『JILL』と、ストリート誌にはたくさん出させてもらった気がします。

そこからどんな経緯でプロのモデルに?

山本洋史さん(ブロック代表)の撮影モデルとしてサロンで準備をしていたのですが、たまたま同じ時間に土屋アンナちゃんもお店にいて山本さんが紹介してくれて。鏡越しに、「え、モデルになりたいの? かわいいじゃん!」と話してくれて。その場でアンナちゃんが所属事務所の代表でもあるアンナちゃんのお母さんに「すごく可愛いコがいるから会わせたい」と電話してくれて。それですぐ「じゃぁ今度みんなでご飯食べに行こう」って話になり、そのまま事務所に入ることが決まったんです。サロンで紹介してもらい、1ヶ月も経たない内に決まったので、あれよあれよという感じでしたね(笑)。それが16歳、高2の頃だったと思います。

そこからオーディションとか受けていく訳だよね?モーニング娘。以来の。

はい(笑)。一番最初がNTTドコモのパンフレットに出演するためのオーディションで。今度は一発で受かったんですよ。それがどういうことか全然分かっていなかったので「なんだ、受かるもんだな」みたいに思っていて。社長からの電話で報告を受けたのですが「受かったよ!」って言われて「あー、そうなんですね」って返したら「そのリアクションの薄さ!嬉しいとかないの!?」みたいなことを言われたのを今でも覚えています(笑)。受かった喜びよりも「撮影いつなんだろ、どんな撮影なんだろう」って不安の方が大きかったからだったと思います、きっと。スチールの撮影だけなのですが、オーディションではお芝居もさせられて、当時初めてのことだらけで何がなんだか良くわかっていなかったんです。

そのパンフが世に出たときはさすがに嬉しかった?

「あ、出てる出てる」って感じですかね。それよりも仕上がりを見て、やっぱり現場で言われたことが全然できていなかったし、思うように笑えていなくて。悔しさの方が強かったような気がします。ただ、メイクさんにメイクしてもらって、衣装もスタイリストさんがいて。そんなプロフェッショナルな現場に携われたことが嬉しかったように思います。

裏方気質なのかな?

そうですね。撮られる、というよりモノをつくる方が楽しいですし、今もスタッフさんたちと一緒につくっている、という感覚の方が大きいような気がしますし。

モデルになっていなかったら、クリエイティブ職につきたかったとか?

実はスポーツインストラクターになりたかったんですよ。水泳も長くやっていましたし、海もすごく好きだったので、マリンスポーツのインストラクターになりたくて。モデルを始めて何年かは、もしも辞めたらインストラクターを目指そうって思っていたくらいです。

プロのモデルとして仕事が増えていく中でも進学を選んだのは、他の道も探してたの?

一生モデルとして生きて行く自身が湧く程、仕事をバリバリさせていただいていたわけではなかったので、とりあえず短大でも良いから進学しておかないと将来に繋がらないかなと、勉強はしておこうと思い。知識であったり、自分のキャパシティをもう少し広げたいなという気持ちもありました。ただ、何を突き詰めて4年間学びたいか、という明確な考えはなかったので、短大に進学をすることにしました。

人間文化学科を選んだ理由は?

哲学というほど大げさじゃないですけど、宗教のこととか、人は何を考えて生きているんだろうっていうことが気になっていて。心理学部があるちょっと遠くの大学も考えたのですが、母親に「あなたは面倒くさがりだから、そんな所に通ったらモデルの仕事しなくなるからやめなさい」って言われて(笑)。色々な国の文化が学べ、モデルの仕事も続けていけそうな立地環境ということも含め、三軒茶屋にある昭和女子短期大学に進学することを決めました。

印象に残っている講義やカリキュラムはあった?

美術史が好きでしたね。なぜこの作品は、その時代につくられたのか。どういうメッセージが込められていて、その作家の生きた背景はどんなだったから、結果その作品が生まれたんだ、みたいなストーリーを学ぶことが楽しかったですね。あと、昔誰かの考えがあって、色んな時代背景を経て、今こういった考え方や価値観がある、というようなことを多く学べたことがよかったです。

短大生活からひとり暮らし?

それが毎日実家から通っていたんですよ。モデルの仕事もしつつ……。今思い返してもすごく大変だったなぁ。「この授業は出なきゃ単位とれないのに、撮影の仕事が入ってる!」とか、スケジュールを調整しなくちゃいけなくて。でも結果、一度も単位は落とさずに完璧に卒業しました。性格的にも決められたことはちゃんとこなしたくて。あと、わざわざ三茶まで通ったのに単位落とすとか嫌だなって思って、頑張りました。

アルバイトとかもしていたの?

それがバイト経験ゼロなんですよ。短大に進学してからすぐ『mina』のレギュラーモデルをやらせてもらうようになって。当時は月に2回発行していたので、撮影も毎日のようにあって。授業の関係で調整をしてはもらっていたのですが、スケジュールがパンパン。実家から学校までは片道2時間かかるし、それも満員電車で。21時とかに撮影が終わって、自宅に帰るのが23時過ぎ。また次の日始発で撮影に行ってから、学校で講義を受けて。という目が回るようなスケジュールで。だから卒業のときは「あぁ、これでもう授業と撮影のスケジュール調整しなくていいんだぁ。幸せ!」という違った喜びがありましたね(笑)。

そんな目紛しい毎日。辛かった?

そうですねぇ……。でも、やっぱり楽しい方が強かったかなと。仕事した分遊ばないとダメな人だから、寝る時間削ってでも遊んでいました(笑)。全部が新しいことだらけだったから、何でも楽しくて。大人になった今でも、当時は本当によく働いていたと思いますし、よく上手にストレス発散できていたなぁと思いますね。朝から深夜まで、1日8本とか撮影してましたから……。本当によく働いてたな(笑)。

僕ら含め、当時はみんな狂ったように働いてよね……

うんうん、そう。だって、編集さんとか編集部で疲れて寝ちゃっていることなんてよくありましたし。あとは撮影時間になっても担当の編集さんが来なくて。カバンと携帯が編集部に置いてあるから、どこかで倒れているんじゃないかと探してもいなくて。心配しつつもとりあえず撮影は進めなきゃダメだって雰囲気で。「コンテを見てクリエイティブスタッフだけで何とかしよう!」って勝手に進めたり。結局その編集さんは一瞬家に戻ったら寝落ちしてしまったってことだったのですが、自分も含め、みんなあの当時は本当によく働いていたと思います(笑)。

ホント、今じゃあり得ないよね……。当時は自分の中でモデルとしての理想像はあったのかな?

何でもできるモデルにはなりたいなっていうのはありましたね。アンナちゃんが結構何でもできるタイプのモデルさんだったから、それを見ていてカッコイイなって思いもあって。それしか出来ませんっていうより、どんな要望にも応えたいなと。

そのために、当時何か意識していたことや心がけていたことはあったの?

目標としたいようなモデルさんが変に知識を入れようとするのではなく、やっぱり感覚で仕事している人が多くて。そっちの方が絶対カッコ良いし、楽しそうだなって思っていたこともあって、特に何かを意識してやっていた、ということは無かったですかね。ただ、スタッフさんたちとのコミュニケーションと、感謝の気持ちは持つように心がけていました。

そんな中、23歳の頃だったかな?1回モデルをお休みしたよね。

はい。とにかく忙しすぎて疲れちゃって。被写体としてアウトプットするばかりの毎日で、どこかで何かを新しくインプットする時間をつくらないとマズいなって暫く考えながら働いていて。エネルギー切れしちゃってる感じがしていて、休みたいな、と。名前を少しずつ知ってもらえるようになって、大きなお仕事もいくつかさせていただく中で、どうしても自分に制限をかけなければいけないことが増えてきてしまって、少しずつストレスが積み重なってしまって。1回ストップして、解放して、今後何をどうしたいか考える時間をつくらないと、何も見えて来ないと思って。それで「休みたいです」って素直にマネージャーさんに相談したんです。そしたら意外にも「あ、そうなんだ。休みたいんだ、オッケー!いいよ」みたいな答えで(笑)。

それはポジティブな決断だったということかな?

そう、もちろんポジティブ!戻って来る気は最初からありましたし「色々吸収して帰って来るから待ってて!」という気持ちでした。そこから2.3ヶ月間、決まっていた仕事をし、マウイ島へ移りました。「比留川游 ハワイにいます!」的な連載だけ継続させてもらって、あとはとにかく充電の時間に当てました。

出発した日のことは覚えてる?

覚えてます!なんとなくこの週に出発しようかなって感じで、ちゃんと出発日を決めていたわけでもなくて、実際に出発した日の1週間前の段階でまだ飛行機のチケットも取っていなくて。いざ調べだしたら直前過ぎるから航空券代だけで片道20万円とか出てきて。「えー、こんなにするの……どうしよう」って。しかもお盆の時期とかぶっちゃっている事に気づき、計算がちょっと(笑)。

せめてハイシーズンの時期は避けるでしょ(笑)。

学生の頃からお盆もずっと仕事していたから、まったく意識がなくて……。

で、結局買ったのかい?高額チケット。

色んな人に聞きながら、安いチケットを必死に探して、往復20万円くらいのを何とか見つけることができて。それでも今思うと高かったですけどね。それで、出発の日。親に成田空港まで送ってもらい「さぁ、これから自由だ。まずはどうしよう。ラーメンでも食べて、ゆっくり1杯……」なんて考えながらフラフラしていたら飛行機に乗り遅れそうになって(笑)。出発の3時間くらい前には空港にいたので、全然余裕あるって思っていたのに気づいたら乗り遅れそうになっていて(笑)。「比留川さまー、ひるかわゆうさまー」ってめっちゃ空港スタッフの方から呼ばれていて……「あ、わたしです」みたいな(笑)。そんなバタバタな出発でした……。

機内では、これから何やろーみたいな感じ?

そうですね。マウイ島で通う語学学校もすごい楽しみだったし、コーディネーターさんやホームステイ先の方と会うワクワク感もありました。

そもそもなぜマウイ島?

留学する前の年に、女友達2人でマウイ島に遊びに行ったのですが、その時にすごくいいなって感じて。オワフだと日本人が沢山いるし、マウイの方がゆっくり出来てそっちの方が良いかなって思い、マウイ島に決めました。英語はほとんど喋れない状態だったのですが、まぁ行けば行ったで何となるかなと。

3ヶ月で帰国したらすぐ仕事しようと決めてたの?

はい。「いつ帰ってくるの?」って聞かれて、いついつ帰って来るって伝えたら「あ、じゃあその次の週から仕事いれるね」みたいな感じで。有り難い話です。

滞在残り僅かの時の心境は?やっぱりもうちょっと居たいなとか?

ぜんっぜん。帰って仕事したいなと。マウイがつまらなくなった訳でも何でもなくて。やっぱり撮影が好きなんだな、モデルの仕事が好きなんだなって。色々な服を来て、メイクしてもらって、カメラの前に立って。早く仕事がしたいなって帰国前は思っていました。

マウイ島では、髪型変えたりいつもと違う感じ?

髪型は変えなかったけど、海や日差しで金髪みたいな感じでしたよ。肌も真っ黒!現地でロコに間違えられていたくらい。それも、当時のマネージャーさんに「焼いていい?」って事前に相談したら許可がもらえて。帰国して会ったとき「意外と焼けてないね。もっといってるかと思った、性格的に」って言われて(笑)。「一応ちょっとは気をつけてました!」みたいなヤリトリをしたのを覚えています(笑)。

帰国後、仕事はすんなり戻ってきた?それとも結構減っちゃったなって感じとかあった?

全然変わっていなかったと思う。みんな待っててくれたんだなって本当に嬉しかったです。

出国前と帰国後では変わった?何か自分の中で。

ものすごく変わりました!現地では自分のやりたいことをひたすらできる時間がありましたし、考え方も成長することができました。あと、とにかく3ヶ月間楽しかったから、もう完全にエネルギーチャージをして帰ってきたという感じで。モデルの世界だけで生きてきて、バイトもしたことがない私の世界観って窮屈で、嫌だなって思っていたんです。東京も嫌だし、みんなが知り合いなのも嫌。出国前はそんな感じで。マウイの学校に行けば、当然だけど私をモデルとして扱う友達なんて誰もいなくて。自分もフラットな状態で色んな話ができて、何を大事にして生きていくかっていうことが、仕事の為にじゃなくて、家族の為にとか、自分の人生の為にこれをやりたいという目的意識だったり、当たり前のことかもしれないけど、そんなシンプルな考えをもっている人たちがほとんどで。そんな人と時間をともにしたことが本当に貴重で。自然と気が楽になれたというか、まぁ、好きなことを好きなだけすれば良いんだよねって、単純なことを思い出して、視野が広がったかなと思います。

現在31歳で来年には32歳。4年前に出した游ちゃんのフォトブック『DUALITY(発行/講談社)』で27歳当時の想いは語っていたけど、それから4年。変わったのかな?当時は「回り道した分もっと頑張りたい」的なことを話していたけれど、今日こうして話していく中で、すごくポジティブな姿が見えたのだけど。

この4年間かぁ。うーん、結構満足していますね。うん、満足していると思う(笑)。着実に考えていたことはやれていると思うし、もちろんできていないこともあるけど、それに対してあんまりマイナスなことを考えなくなったかもしれない。それが自分の結果だから。本当はもっとこうなりたいとかはあるけど、でも今こうしている自分のことは好きだし認めてあげたい。歳を重ねて、今これはした方が良い、これはしない方が良いとか、自分がその時々で何を選択したらどうなるか、なんとなく予想がつけられるようになってきて、コントロールできるようになってきた。だからこそ、最善の選択をその時はしていると思うので、結果はどうであれ後悔することがなくなったと思います。物事を元々俯瞰でみるタイプだけど、よりそうなったような気もしますし、今は精神的にも安定しているんだと思う。

ある程度世の中の流れが見えてくるこの歳って、自分の置かれた環境も含め、将来が色々見えてくるじゃないですか。落ち着いて自分を見る今、次に進みたい方向とかはあるのかな?

自分の好きなことができる環境に、いつも自分を置いておきたいなっていうのはあります。好きなことができるっていうのはやっぱり、できるように努力もしなきゃいけないし、人間関係とかも含め「私はこれがやりたいんだ」って発信しないと拾ってももらえないですし。あと、プライベートでも、面白い人、自分が興味のある人と付き合っていたい。楽しいなって思える人と関わっていられる時間で毎日を埋めることができたら幸せかなって。それで満たされていたいなって。何かに興味を持てることってすごく大事なことだと思う。だから、なんとなく過ごしてなんとなく生きているみたいな、反対によくありがちな毎日をつまらないって思うとか、そういう風にはなりたくないなって。何歳になっても、何歳だからこれはできないとか無いなって思うんです。自分に自分でリミッターをかけることはしたくないなって思っています。

本当に真っ直ぐだね。これからも游ちゃんは変わらないと思うよ。そういえば、当時子供は2人欲しいって話しているけど、そこら辺の具体的な部分は?

んー、ひとりでもいっかな(笑)。でも、子供は産んでみたいなっていう気持ちはやっぱり今でもある。どんな感じなんだろうって。出産の経験って特別なことだと思うし、私もできたらいいなって想いは変わらずあるかな。

それじゃぁもうひとつ。今も住むなら、海の近くで庭付き一戸建てがいい?(笑)

海の近くじゃなくてもよくなった(笑)。街でも良いかな!これを話していた4年前って、あんまりヨーロッパとかに行ったことがなくて。時間ができて旅行に行くなら海!って感じだったんですけど、ここ数年はパリとかニューヨークとか、街に行くことが結構あって、街も良いなって。街で生活しているおじいちゃんおばあちゃんとかの洒落た感じ? 海付き一戸建てみたいなのんびり感で老後を過ごすのもいいなと思うけど、いつまでも刺激を受けながら、老後を過ごすのも楽しいのかなって。それもアリかなって。そもそも一戸建てじゃなくてもいいかなって思うようになりました(笑)。

最後に女優としての游ちゃんのこと少し聞いていい?2014年に『最後の命』でスクリーンデビューし2本目の出演作となる映画『世界は今日から君のもの』が7月15日に公開になりますね。女優として映画に出演する感想は?

1作目は、もう全てが初めての事だったので何とも……。「え、マイクどこにつけるの? ロケジャンってどのタイミングで脱げばいいの」っていうくらい(笑)。撮影が終わった時は、こう、何かやりきった感というか、達成感があって、また映画にも出たいなと思っていたのですが……仕上がった作品を試写で観て「これはマズイな」と。

一同(笑)。そんな中での2作目。恵利香役はどう?

『最後の命』の小泉香里役は、静かで暗い役。動きもあんまり激しくなくて。でも恵利香の役は、動きも激しいし、少しコミカルさもいれなきゃいけなくて、引き出しが無いなと実感しました。事前にもっと勉強しておけば、もう少し色々できたのかなと。あとは声のトーン。叫んでいるときでも、感情入れつつも観ている側が聞き取りやすいように、大声ださないといけないんだなと。そういうのって、ボイトレとかじゃなくて、日常生活の中で、意識しながら発見して行くことが大事なのかなって改めて感じました。

何かクランクインの前に準備はした?

恵利香は趣味がサバゲーで、映画の中でもサバゲーをやるシーンがあるんです。模型でも大きい銃なんて持ったことが無かったので、サバゲーをやっている友達にエアガンを借りて、撮影までに持ちなれるように毎日鏡に向かって構えていました(笑)。

作品として、游ちゃんとして、それぞれの見所は?

映画としては、ただただ門脇麦ちゃん演じる真実が可愛いくて、フワっと光に包まれたような映像が美しいなと。あと、随所に挟んでくる笑いの要素が面白くて、観た後には自然と穏やかな気持ちになれる、そんな作品です。外に出て人と出会い、社会の中で人と関わることでしか変われないことがある。そんな人の成長姿が楽しいですし、すごく優しい気持ちになれると思います。あと、なんかね、家族のヤリトリとかが本当にリアルだなって。家族だけの距離感とか、家族だけでしか分かり合えないこととかってあるよねって。親も親で、子供も子供で、それぞれ成長していくんだなと。そう完成した作品を観て感じました。恵利香の見所としては、やっぱりサバゲーのシーン(笑)。あと、撮影をしたのは実は結構前だったので、顔もなんとなく今より若いんじゃないかと(笑)。劇場でチェックしてくださいね!

Profile

比留川游 Yu Hirukawa

1986年2月5日生まれ 神奈川県出身 自然体が美しく、飾らない表情が魅力的で、16歳のデビュー時から現在まで、変わらない支持を集めるモデル・女優。2014年WOWOW『かなたの子』で女優デビュー、同年11月には『最後の命』でスクリーンデビュー。2017年7月15日には映画出演2作目となる『世界は今日から君のもの』が公開され、女優としての今後の活躍にも期待が寄せられている。

Photography YUYA SHIMAHARA / model KENICHI SUGIMORI / still
Hair & Make up TOMOKO OKADA(TRON)
Styling AYAKO TSUKADA
Model  YU HIRUKAWA(STARDUST)
Edit & Text SATORU SUZUKI

こちらの情報は『CYAN ISSUE 014』に掲載されたものを再編集したものです。

SERIES