同年代で、もともと同業種ということもあり、顔を合わせることが多かったという松浦さんと三村さん。二人が出会ったのは2011年頃。
松浦さん:「お互いに面白い人がいたら紹介するというような間柄でした。僕も三村さんもエンターテイメント業界で働いていました」。
三村さん:「松浦さんが会社を辞めるときに相談を受けたんです。フリーランスでやっていくという話だったので、経験を積む為にも会社を立ち上げたらどうか、と提案したことが、SECAIを立ち上げたきっかけです」。

二人とも京都の出身ではないが、不思議と縁があった。
松浦さん:「僕は南座に研修で行くことが多かったのですが、そこで京都の職人さんにお会いする機会がありました。プロダクトはとてもかっこいいのに、食べていける人が少ないという話を聞いて、いいものが評価されないのはおかしいと思っていたんです」。
三村さん:「僕は京都という街がずっと好きで、通っていました。文化的なところにも惹かれていました」。
二人が株式会社SECAIを設立したのは2016年4月。まだ設立1年弱とは思えないほど、多くの仕事を残している。
松浦さん:「行政が着物を無形文化財として登録しようという取り組みをしていたり、着物を着たいという方が多かったことがきっかけで立ち上げたのが“#PLAYKIMONO プロジェクト”です。僕自身も着物を着る際に、多くの制約があると感じていました。そこで、どんどん自由に着物を着ようという自由なムーブメントをつくりたかったのです。まずは、Instagramに#playkimonoでアップすることから始めたのですが、阪急うめだ本店さんからお声がけをいただき、催事場を貸し切って“#playkimono bar”というイベントを13日間行いました。京都の老舗の若旦那や話題のクリエイターの方をお呼びし、雑誌と連動した取り組みを行ったおかげで、大きな反響をいただくことができました。

三村さん:「他にも“KUSHUKU KYOTO HOSTEL”という、古民家をデザイナーズ町家にリノベーションした一日一組限定の宿もプロデュースしました。提灯の老舗の小菱屋忠兵衛さんや、表具師の井上光雅堂さんに協力していただきました」。

松浦さん:「宿内の棚は京都市とコラボしていて、毎月3名の職人さんのプロダクトを販売・展示できるようになっています。まだ世の中に出ていないけれど、素晴しいものづくりをしている方々のことを、少しでも知ってもらえる場づくりができればいいなと思っています」。

これら以外にも、多くのイベントやプロジェクトを企画してきた。すべてが順風満帆に見える彼らだが、いまだに苦労することもあるという。
京都の伝統や歴史、 その文脈をふまえた上で、 新しいものを取り込んでいきたい
三村さん:「最初の頃は、京都の人たちとのコミュニケーションや、文化的な違いに戸惑いました。京都独自の文化や風習を学ぶ一方で、京都に染まりきってもいけないなと思っています。僕らには、東京のアイディアや海外のものを取り込んでいく役割があるので、常に外のものも見るようにしています」。
SECAIが京都にこだわる理由と、これからの展望について聞くと、次のように語ってくれた。
松浦さん:「歴史が深い街だからだと思います。海外の老舗ブランドの歴史は100〜200年くらいですが、京都の老舗は400年続いていたりします。歴史が深い分、掘り下げていくと必ず“ストーリー”があり、それをプロダクトに反映できるのが面白みのひとつです」。
三村さん:「とある老舗当主の襲名式に参加させていただいた際に、『先代から預かり、次にどう繋げるかということを意識している』と仰っていて驚きました。自分ではなく、伝統や人を大事にするのが京都らしいのかなと」。

松浦さん:「文化庁の移転が決定し、東京の芸術家やクリエイターも拠点を移すなど、今、再び京都に注目が集まっています。これからも、京都で僕たちにしかできないようなプロジェクトを立ち上げていきたいと思います」。

Photography YUKO KOTETSU
Edit & Text YURIKO HORIE
こちらの情報は『CYAN ISSUE 012』に掲載されたものを再編集したものです。