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 銀座のギャラリー「ART FOR THOUGHT」で開催された小杉さんの個展。「音楽」をテーマにしたこの展示では、曲から着想を得た、激しさ、穏やかさ、優雅さなどの感情が書に宿、一作一作が異なる魅力を放つ。和紙やキャンバスの上に自在に表現された筆跡は、書かれていると言うべきか、描かれているというべきか。「書」に対して知らずのうちに抱いていた概念を覆されるようだ。

『海』「中学から好きなドビュッシーの『海』から着想を得た作品。当時、日本の浮世絵が音楽家たちに影響を与えていて、この曲の楽譜の表紙にも北斎の浮世絵が印刷されています。

 幼い頃から書道に打ち込んできたという小杉さんだが、自身がプロの書家にナルトは思ってもみなかったという。
「父は風景写真家、祖母と母は国語の教師をしていました。特に祖母から受けた影響は大きいと思います。俳句や短歌を嗜み、ふとした瞬間に浮かんだ言葉をノートに綴っているところを見ていました。表現としての言葉の使い方は、祖母を見て学んだ気がします。音楽も好きで、幼少期からピアノを、高校からはオーケストラを始めました」
 小学校入学と同時にお祖母の教室で始めた書道は、練習も苦にならなかったというほど夢中で取り組んだ。
「祖母は少しでもできるようになったところがあれば、すごく褒めてくれました。書道を好きになったのは、そういうところに理由があるのかなと思います。中学高校では、祖母の方針で様々な先生に指導を受け、そこでは基礎となるような古典を手本に、行書や楷書を書いていました」

祖母から受け継いだ『五體字類』楷書・行書・隷書・篆書の五体を収録し、現代の書家にとって必携の書体辞典。「祖母から譲り受けてから10年以上愛用しています」

 大学入学後も書道を続けていた小杉さんに、ある転機が訪れる。2011年の東日本大震災である。
「当時僕は大学3年生で、震災後、どんなことでもいいから何かしなくてはという思いがありました。そんな時、大学の先輩が情報ボランティアを募集していることを知り参加しました。IT技術を用いて避難所に情報を提供したり、被災者の方のニーズと企業を結びつける活動を行いました。最初に訪れたのが岩手県大槌町。避難所になっていたのが伝統舞踊「鹿踊」の活動場所で、被災された方の中にも鹿踊をやっている方が沢山いらっしゃいました。僕が書道をやっているという話をしたら、『ぜひ何か書いて欲しい』とご依頼をいただきました。今まで古典を書き、コンクールに出して入賞を目指すということをやってきた僕にとって、それが初めてお手本がない作品に取り込む機会となりました。彼らが大事にしている鹿踊をテーマにした作品を書いたところ、すごく喜んでもらえるものなんだと実感しました。そこからですね、自分の創作がすごく変わったのは」

硯職人・熊谷瑞泉氏の硯 岩手県南地域で産出する貴石、紫雲石で作れらた硯。「震災のボランティアで大船渡市に訪れた時に熊谷さんとの出会いがありました。

 大学在学中にも徐々に仕事の依頼をうけるようになったというが、このときもプロとして活動していくことは考えていなかった。ボランティア活動で出会った尊敬する社員たちと一緒に働きたい、そして日本の田舎をITの力で変えたいという思いから、日本のマイクロソフトに入社する。
「仕事しながら、創作活動を続けるのは、想像以上に大変なことでした。思いきり仕事に没頭したい反面、頭のどこかで練習をしなくてはと焦ってしまいました。このような生活を3、4年続けるうちに、自分はとても中途半端な状態なのではないかと感じ始めました。そんなとき、プロのオーケストラに入った学生時代の友人と一緒に演奏する機会があり、その演奏に衝撃を受けます。学生のときに同じ舞台にたっていた友人が、圧倒的にかなわない存在になっていたからです。彼女が音大生だった頃はまだ調子に波があったのですが、プロになった後は、調子の幅の底上げがすごくて、悪いところがまったく感じられませんでした。常に高いレベルで表現し続ける為には、常に練習をし続けなくてはならない、そして常にその状態をキープしているのがプロなんだ、と見せつけられた思いでした。もし自分が何かのプロとして生活するのであれば、そうならなくてはならないと考え、渡仏を決意しました」

“形にとらわれず、奇を衒わず、表現すべき言葉があればためらわずに挑戦していきたい”

その後、小杉さんはパリに1年間滞在。現地での展示やパフォーマンス、レッスンなどを精力的に行った。
「僕がパリ滞在中に一番したかったことが、とにかく『住む』ということ。影響を受けた音楽家や画家たちと同じ街に住み、同じものを食べ、同じ言葉を話すという経験をしたのちに創作をすることで、自分の中で何が変わるかを見てみたかったんです。パリの生活の中で気づいたのは、日本は本当の意味でアートという文化がないということです。日本の美術教育では、この作品はなんという作品で、誰が何年に描いた、と答え合わせをしていくような鑑賞の仕方をしますよね。パリでは、学芸員たちが子供たちに『この絵をみてどんなことを感じた?』ということを聞くんです。そしてその答えに対して、さらに掘り下げていく。子供達もそれぞれが感じたことを話し合い、一方で他人は別のことを感じているということも受け入れていく。そのとき、コミュニケーションの起点になるのがアートなんだと気づかされました。」

『地か海か』「シベリウスの交響曲第2番をイメージ。唯一言葉を書いていない作品で、波打ち際を上空から見た様子を墨で表現。海(左側)を青墨で、地(右側)を淡墨で描きました」

帰国後、小杉さんは書家として活動を本格的に開始。創作活動において気をつけていること、今後の目標を伺った。
「一つ目は技術に貪欲であること。二つ目は感性を言語化すること。これらは自分の表現両輪だと思います。
 やりたいことは沢山ありますが、全員が思考や会話の中で使っている言葉をアートにすることで、より多くの人の美意識を豊かにしたいと考えています。また、一人の表現者としてアップデートを繰り返し、次の世代につなげていくことも目標の一つです。そのためには、技術として古典から学ばなくてはならないことがまだ沢山あります。それを現代の言葉にどう活かし、融合させていくかということが、僕が今一番やるべきことなのだと思います」

Photography MIE NISHIGORI
Edit & Text YURIKO HORIE
Web Edit KIKUNO MINOURA

こちらの情報は『CYAN ISSUE 019』に掲載されたものを再編集したものです。

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